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プロ野球南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王を獲得して捕手兼任監督を務め、引退後は監督としてヤクルトを3度日本一に導き、2009年には東北楽天を球団創設後最高の2位に躍進させた野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳。京都府出身。息子で東北楽天の作戦コーチを務める克則さんによると葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定。
警視庁によると、11日未明に東京都世田谷区内の自宅から病院へ搬送され、死亡が確認された。
京都・峰山高から1954年にテスト生で南海入団。3年目に定位置を獲得すると強打の捕手として活躍し、65年に戦後初の三冠王に輝いた。70年から兼任監督を務め、73年にリーグ優勝した。打者を「ささやき戦術」で翻弄(ほんろう)し「生涯一捕手」を貫いてロッテ、西武と渡り歩き80年に45歳で引退した。
通算3017試合出場、2901安打、657本塁打、1988打点は歴代2位。8年連続を含む本塁打王9度のほか、打点王7度、MVP5度など数々のタイトルを獲得しベストナインに19度選ばれた。通算打率は2割7分7厘。解説者時代にはテレビ中継でストライクゾーンを9分割した「野村スコープ」で配球を分析して評判となった。89年に殿堂入りした。
90年にヤクルトの監督に就任。データ重視の「ID野球」を掲げ、4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成した。99年から阪神監督を務め3年連続最下位に終わった。社会人野球シダックス監督を経て2006年から球団創設2年目の東北楽天で4シーズン指揮を執り、09年には2位となり球団初のクライマックスシリーズ進出を果たした。監督通算1565勝1563敗76分けで、勝利数は歴代5位。
試合後のインタビューでのぼやきも人気を集め、「ノムさん」として親しまれた。17年12月に85歳で死去した妻沙知代さんとのおしどり夫婦としても知られた。ヤクルト、阪神、東北楽天の監督時代には息子の克則さんを選手として指導した。
2020年02月12日水曜日