2019/10/18(金)チーム

今江 敏晃選手 引退記者会見

10月18日(金)、今シーズン限りで引退を表明した今江 敏晃選手の引退会見を行いました。

今江 敏晃選手引退記者会見

今江 敏晃選手 挨拶

まずはじめに、このたび台風19号の被害にあわれた皆さまにお見舞い申し上げます。そして、今なお不自由な生活をされている方々が一日でも早く普段の生活に戻っていただけるよう、お祈り申し上げます。

そして、本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。私今江敏晃は18年間の現役生活にピリオドを打ち、引退することをここで発表します。
これまで応援してくださった、お世話になった皆さま、たくさん応援してくれたファンの皆さまに言葉では言い表せられないくらい感謝しております。本当にありがとうございました。

一問一答

記者:
引退会見を迎えました率直な今の気持ちをうかがわせてください。
今江選手:
そうですね、まだ自分がユニフォームを脱ぐっていう実感は全然沸いてないというか。
ただ本当に今まで突っ走ってきた自分がいたので、なんとなく肩の荷がおりたのかなという感覚でもあるのですが、まだまだ実感が沸かなくて...
これから少しずつ(実感が)沸いてくるんじゃないかなと思います。
記者:
現役引退を決意した大きな決め手をお聞かせください。
今江選手:

今年の(春季)キャンプの、本当に出発する前日に目の不調で病院に行き、目の病気にかかってしまい、なんとか今年にかける気持ちもあったのですが、出だしでそういう形になってしまいました。

1日でもはやく復帰しようと思いやってきましたが、なかなかすぐに治るような病気でもなく、少しずつリハビリをして、5月くらいにはやっと一軍で呼んでもらえるようになり、一軍でプレイする機会もあったのですが、目の状況も良いときと悪いときで波がありまして、その中でも今までの経験を活かして何とかやっていました。 6月末に症状が悪化し、7月の頭に「ちょっとこれはもういくらなんでもできないな」ということで、監督に「ちょっともう無理です。プレイするのはもう厳しいです。」と話しまして、二軍に落ち、またリハビリ生活をすることになりました。
そこからなんとかまた1日でも早く(復帰を)と思ってやってきましたが、(症状が回復し)復帰したときにはシーズンも終盤で。
チームも(シーズンの)佳境に入ってきたときで、なんとか戦力になりたいと思ってやっていたのですが、なかなか一軍に呼んでもらえず、なんとなく自分の中でそういう立ち位置なのかなと感じていました。

その時に、球団から「来期は選手じゃなくコーチとしてやってくれ」というお話があり、もちろんすぐには決められなかったですし、目の状態もありましたが、体は元気だったのでまだまだやりたいという気持ちが、(その時は)やっぱり僕自身も強かったです。
家族も今までこれだけ支えてくれて、まだ不十分(まだやれる)と思ってもらっていると感じたので、現役をやりたいという気持ちはあったのですが、やはり目という、前が見えない病気にかかってしまい、これからまた来年プレーして目がどうなるかもわからない、今後本当にひどくなると普通の生活にも影響するかもしれない、というような状況にもあったので。

球団からもありがたいことに考える時間をいただけるということでしたので、家族とまず話しましたし、知人であったり先輩であったりいろんな方に相談させていただきました。そしてやはり、目の病気というのはなかなか...自分でも1年間(病気をかかえて)やってみた中で、来年1年間を違うチームでやるとしても、不安なところはありますし、年齢のこともありますし、そういう意味で自分でいろいろ考えて、引退しようと思いました。

記者:
引退を決断した後、まずはどなたに報告されましたか。
今江選手:
一番はじめはやはり家族に報告しました。後は、ここまでやれる体に育ててくれた母親と父親、母親は他界していないんで、自分の中でしっかり報告しました。
記者:
何かかけられた言葉というのはありましたか。
今江選手:
家族も本当にいろいろな思いを持ちながら、多分もっと言いたいことがあったんだろうなと思うのですが、「本当にお疲れ様」って言ってくれました。
記者:
18年間の選手生活で最も印象に残っている場面をお聞かせください。
今江選手:
18年間もプロ野球の生活をやらせてもらって、何か1つに絞るのも本当に難しく、いろいろな思い出があるのですが、やはり2005年にレギュラーをちょうど掴んだ年、ボビー・バレンタイン監督率いる千葉ロッテでプレーさせてもらって、本当にやってて楽しかったです。プレーオフも制して、日本一になって、たまたま(日本シリーズ)MVPもいただいて、そこは僕の中でもすごく大きな思い出ですし、たまたま日本シリーズの前に息子が生まれて、そこで(日本シリーズ)MVPをとれたというのもちょっと感慨深いものがあるという思い出です。
記者:
その千葉ロッテ時代、日本シリーズで2度MVPを取られました。振り返っていかがですか。
今江選手:
僕にとって、千葉ロッテという球団は、僕を育ててくれた球団でもありますし、千葉ロッテがなければ、今の自分もないと思ってますし、今でもたくさん千葉から応援してくれる方もおられるので、本当に自分の故郷といってもいいんじゃないかと思うようなチームです。
記者:
2006年には第1回WBCで世界一にも貢献されました。あの経験は選手としていかがでしたか。
今江選手:
あの大きな舞台で、たくさん、本当に素晴らしい選手の中でやれたというのは、自分の野球人生にとって財産でもありますし、思い出深いものがあります。
その中で、僕もたまたま試合に出してもらって、韓国戦でエラーをして負けてしまい、「日本に帰れないかもしれない」と、嫁さんに電話したのがすごく思い出に残っていて。
今となってはそれもいい思い出かなと思いますし、後は、本当に小さいころからあこがれていたイチローさんと一緒にプレーできて、本当によくしていただいて、キャンプ地の自宅に連れてってもらったりとか、今もメールさせてもらったりと、本当にWBCがなかったら、絶対にそういうことがなかったので、WBC(に出場できたこと)に感謝しています。
記者:
2016年から楽天イーグルス加入し、1,500安打、100本塁打、数々の記録も達成されました。改めて楽天イーグルスの生活はいかがでしたか。
今江選手:
楽天イーグルスに移籍を決めたのは、震災以降、千葉ロッテ時代から、色々な感情を持って毎年福島に行かせていただいていましたが、その中で、FAになったときに楽天イーグルスに声をかけていただいて、これも何かの使命なのかなと思い、東北の皆さんと日本一になりたいと思い、移籍してきました。ケガもあり、自分の力も全然出せず、チームに貢献もできず、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいです。ただ、こうやってFAで(楽天イーグルスに)移籍してきて、ファンの皆さま、球団の皆さま、チームメイトもそうですし、本当に暖かく迎えていただいて、移籍してきて4年間、野球人として、人間的にも、すごくよい経験ができ、すごく楽しい4年間でした。
記者:
ファンの皆さんへ最後にメッセージをお願いします。
今江選手:
僕がここでこうやって皆さんに引退を報告できるような選手になれたのも、たくさん応援してくれた方たちの支えがあって、今江敏晃というものがあると思っています。本当に言葉では言い表せられないくらい、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

現役引退に伴い、登録名が変更となります。

変更前 今江 年晶
変更後 今江 敏晃

2019年10月18日(金)より変更